メイド喫茶の思い出

小人閑居して不善をなすので、学生時代は暇を持て余してロクでもないことばかりしていたが、創造性が追いつかず、すぐにネタが切れる。仕方ないので、友に尋ねてみると、一人でメイド喫茶にでも行けばいいんですよと言われてしまった。気が進まないので、近くにないからと断ったが、丁度その頃秋葉原の近くで用事があり、何かと都合が良かったので、逃げるわけにもいかなくなった。

メイド喫茶にも複数の種類があるらしく、ウェイトレスがメイドの格好をしているだけのものから、モエモエキュンキュンさせられる地獄まで、幅広いらしい。前者は明らかに逃げなので、後者の中でも比較的マシにみえる店舗をネットで探して向かってみたが、いざ入るとなると度胸が湧かないもので、しばらく周囲をうろつく不審者となった。諦めて入店すると「お帰りなさいご主人様」に迎えられお腹いっぱいである。既に吐きそうであったが、席に案内され、「メイドは猫であり、ご主人様のために魔法の力で人の姿を借りている云々」と地獄の深層みたいな世界観とルールを説明され、猫の言葉を聞くために猫耳を装着させられる。入店するだけで胃が限界だったので、初心者おすすめの飲み物とチェキのセットを注文するが、店員に声をかけるには「にゃんにゃん」と言わなければいけないルールのお陰で、精神が一気に摩耗する。

さて、飲み物が届くと例の儀式を行わねばならない。つまり、ポーズ付きで「萌え萌えきゅんきゅん」と唱えさせられるわけだが、無意識下にある譲れないプライドすらも破壊される気分であった、今思い出すだけでもしんどい。硬派気取りの私は、泣きそうになりながら必死に「萌え萌えきゅんきゅん」唱えていたわけだが、店員もプロである、「恥ずかしがっているからもう一回!」とスパルタの教育でも少しは有情ではなかったかと思える無慈悲な指示を下してくる。人としての尊厳と心は完全に破壊され、一体の畜生へと堕とされた、つまり私も猫になれたのだろう。

さて、既に臨死状態の私はさておき、他の客に視点を移そう。店内には、基本的に常連と思しき人々が座っていた。細身でメガネないかにもな若者が多い、彼らの半数は、何かしらの機会に恵まれ、いつかこの地獄を抜けていくのだろう。しかし、中には消えていった彼らの魂を頼んでもないのに勝手に受け継いで凝縮させたような...つまり、他人との付き合いが苦手そうな、いかにもな雰囲気の太った中年男性がいる訳で...私の両隣に座っていた。これがオセロなら私は、これ以上の生を望まなかったろう。もっとも危惧するまでもなくオセロというよりオソロだったのかもしれないが、自己評価とは当てにならないもので。

さて、失礼なことを散々書き連ねたところで、話に戻ろう。店員が気を利かせたのか、スパルタ魂に火がついたのかは不明だが、この三人に自己紹介でもしましょうと危険な一石を投じてくる。明らかに困っている左隣のおじさんを見て、さらに胃を悪くする訳だが、店員もプロなので、趣味は何ですかと助け舟を出す。「チェキ集め」ですと、自慢のチェキ帳を披露。案の定、親近感が少し湧いてしまう一方通行なトークが始まるのだが、店員もこの類の人間に慣れているのだろう、相槌を打つのが大変うまいので話が流麗に流れていく。

その自己紹介後、すぐに謎のダンスショーが開始されたので追加の自己紹介地獄は回避された。ショーと言ってもへぼい台の上でメイドが一人、よくわからない曲で、よくわからない踊りを披露するチープなもので、私の教養不足で説明のしようがないが、説明するほどのものとも思えない。退屈なショーだが、見ているだけでいいので気楽なもので、地獄の中の僅かな安らぎだったかもしれない。そのまま、チェキ撮影に移る。指名したメイドさんと写せるとのことだが、地獄の獄卒を選定するような視点を特に持ち合わせていなかったので、目の前にいたメイドさん二人を指名して、遠い目をしてチェキ撮影したものだが、あの写真は今も研究室に貼ってあることだろう。最後のにゃんにゃんで禊を済ませて店を出た時には、すべてのストレスから解放されショーシャンクの主人公もかくやと思える清々しい気分であった。